2018年10月14日

マイ備前焼

このブログの最初のほうの回に書いた通り、わたしたちは初めからここ瀬戸内市長船町をめざして移住してきたわけではない。東京を出るにあたって、災害の危険性や気象条件などから岡山県南部が最有力候補になり、あとは立地条件と物件優先でたまたまこの地に移り住んだというのが実情である。だからこの地域のこと、たとえば歴史について、予備知識はほとんどなかった。  

自作の備前焼
妻がつくったコップ(左)とわたしの灰皿。灰皿はさっそく愛用している。


移住して初めて、この地が刀剣の「備前長船」だけでなく、いや、それよりも古くからの焼き物の歴史を持っていることを知った。古代の土師器、須恵器については昔、学校で習った覚えがあるが、ここ長船町には現在も「土師」「須恵」の地名がある(「カフェ明治屋」は長船町土師にある)。
 

  

遺跡や窯跡も多く、実際にこの地が千数百年前から焼き物の産地だったことがわかる。長い歴史があるのである。少年時代までを過ごした熊本はともかく、上京してからのわたしはおもに埼玉の南部や東京の西部で暮らしたが、その地の歴史を意識することはほとんどなかった。一方、旅先では街の歴史を実感することがある。あるとき、京都の小路を歩いていて、「もしかしたらこの道は平安時代からあるかもしれない。千年以上前の人が同じところを歩いたかもしれない」と思ったときのゾクッとする感じ、それに似たものが長船にはある。 

  

長船町には遺跡からの出土品などを展示する「須恵古代館」という博物館もある。その須恵器の技法を発展させたのが備前焼である。およそ千年の歴史を持ち、幾多の盛衰を経ながらも現在に受け継がれている。 

  

さて、「朋あり遠方より来たる」の回に記したように、妻の友人2人が「カフェ明治屋」に来てくれたときに、いっしょに備前焼の「土ひねり体験」をした。それができあがったという連絡が、ほんとうに忘れたころにやってきた。妻の友人Yさんの湯冷まし、Tさんのお皿、妻のコップ、わたしの灰皿、4つとも、割れずにきれいに焼き上がっていた。焼くと2割は縮むというせいだろうか、どれも手に持つとずっしりとくる。茶色と鼠色のグラデーションは味があっていい。作家の作品と比べれば足元にも及ばないとはいえ、どれも世界に二つとない品だ。 

  

できあがりまでに時間がかかり焼き上がってみなければどんな作品になっているかわからないところ、釉薬を使わず素朴な色調であるところなど、備前焼はモノクロフイルム写真に似ていなくもない。将来、時間ができたら写真とともにたまの趣味にするか。 


y1_tokita at 08:06|PermalinkComments(0)瀬戸内暮らし