2018年07月

2018年07月29日

しおまち唐琴通り(その1)

わたしたち夫婦が「カフェ明治屋」の定休日によく行く牛窓に「しおまち唐琴通り」という通りがある。牛窓が港町として栄えた江戸時代から昭和30年ごろまでの面影を多く残すレトロなストリートだ。牛窓のシンボルのひとつであるホテルリマーニの前の通りから1本奥の旧道がそれで、全長は1キロ余り。道幅は江戸時代のままなので、断然、歩いたほうがいい。 

御茶屋跡01
「御茶屋跡」の入り口。シックな造りだ。


わたしがこの通りを初めて訪れたのは冬の寒い日、妻が牛窓にある瀬戸内警察署で運転免許証の更新手続きをするというのでクルマを運転してきたときのことだ。更新には時間がかかるので、わたしは以前から気になっていた「御茶屋跡」のカフェで暇をつぶすことにした。ナビで「御茶屋跡」と指定すると、やたら狭い道を走らされる。何とかたどり着いたが、その道が「しおまち唐琴通り」だったのだ。
 

御茶屋跡02
「御茶屋跡」のカフェ。立派な古民家である。


御茶屋跡03
「御茶屋跡」カフェからの眺め。目の前が海だ。

「御茶屋跡」は「しおまち唐琴通り」のほぼ中間点に位置する。江戸時代に外交使節・朝鮮通信使の接待にも使われた場所で、現在の建物は明治時代初期に建てられたモダンな日本建築だ。いまはギャラリーとして使われていて、さまざまな工芸品や器などを展示する和風美術館といった趣だ。ここの2階、奥まったところがカフェになっている。わたしは「御茶屋跡オリジナルブレンドコーヒー」をいただいた。古い木枠のガラス戸の向こうはすぐ海。眼前に前島を望む景色はなかなか良かったが、この日は風が強く、古民家の常として隙間風が吹き込んで寒かった。 

その後、カフェの1年先輩である「珈琲 べるま~ど」を訪れた際に「しおまち唐琴通り」のことを教えられ、「あの通りがそうだったのか」と気づいた次第だ。そしてこの通りはクルマではなく、ゆっくり歩いたほうがいいとあらためて感じ、フェリー乗り場近くの駐車場にクルマを停めて歩くことにした。 

  

 



y1_tokita at 11:24|PermalinkComments(1)瀬戸内暮らし 

2018年07月24日

紫煙のゆくえ

最近、とかく愛煙家は旗色が悪い。2020年の東京オリンピックに向けて、日本でも受動喫煙対策を強化した健康増進法改正案が国会で成立した。小規模の飲食店を除き、屋内は原則、全面禁煙になる。これまでの日本の受動喫煙対策は、WHO(世界保健機関)から世界でも「最低レベル」とこき下ろされ、IOC(国際オリンピック委員会)などの方針に沿って新たな対策をとらざるをえなくなったようだ。日本はまだ喫煙に甘いという声もあるが、方向としては受動喫煙の恐れがある喫煙の全面禁止だろう。 

  

何を隠そうわたしはスモーカーである。移住を機に禁煙しようと思ったが未だ果たしていない。サラリーマン時代にわたしが「ドトール通い」をしていた大きな理由も、タバコとコーヒーが座ってとれるということにある。会社はもちろん禁煙で、ビル内の喫煙所は駐車場の一角、外気にさらされながら立って吸うしかなかったのである。 

喫煙所
「カフェ明治屋」の喫煙コーナー。わたしの休憩場所でもある。


以前はカフェ・喫茶店といえばテーブルに灰皿が置いてあるのが当たり前だった。店内にはコーヒーの香りとともに、紫煙がたなびいていた。新幹線などの列車でもそれぞれの席に灰皿があり、吸うときには隣の人に「タバコ吸ってもいいですか?」と訊くのがマナーだといわれていた時代もある(当然、「どうぞ」というこたえを期待している)。
 

  

あれは20年ほど前のことだろうか。仕事で宝塚市在住の著者と駅近くのホテルのラウンジで打ち合わせをしていたとき、たまたま二人とも喫煙者だったのでタバコを吸っていたら、隣の席に来た女性の一団から、「煙いから向こう行ってくれへん」ときつく言われ、二人して端っこの席に退散したことがある。「嫌煙権」という言葉が、世の中に広く普及していったころだったと思う(今となっては、「嫌煙」という言葉自体が、ずいぶん控え目に見える)。 

  

それ以降の、公共の場での喫煙の禁止、路上禁煙条例、飲食店での分煙・禁煙の進捗は目を見張るばかり。時代は変わったのだ。日本では、会社員の働き方や男女の役割分担など、「変わらなくてはいけないけれどなかなか変わらない」ことが多いのに、タバコに関しては劇的に変化した。なぜタバコの受容についてだけこれほど変わったのか興味は尽きないが、ここでは措こう。 

  

もとより、わたしも含めて喫煙者も人に迷惑をかけようと思ってタバコを吸っているわけではないが、人に煙を「強いる」のはよくないといわれれば反論の余地はない。ただ、タバコをやめようと思っているわたしが言うのも何だが、禁煙を「強いる」風潮もいかがなものか。吸う人も吸わない人も、お互いに迷惑をかけなければいいではないか。 

  

というわけで、「カフェ明治屋」では、屋内は全面禁煙とし、外に喫煙コーナーを設けた。吹きさらしだが、座って吸うことはできる。 



y1_tokita at 08:45|PermalinkComments(2)カフェ 

2018年07月20日

募金箱

前回書いたように、今回の西日本豪雨(平成307月豪雨)で被害に遭われた方々の状況はまったく他人事ではない。わたしたちが被災していても、ちっともおかしくなかったのだ。だから余計に、被害に遭われた方々に何かできないかと思う。 

  

後片付けなどの支援ボランティアとして現地に赴くという手もあるのだろうが、わたしたちにはお店がある。カフェを臨時休業してボランティア活動をしていたら自分たちの生活が成り立たない。自営業に有給休暇はないのだ。 

  

そもそも体力的な問題がある。何しろこの暑さである(連日35度前後)。わたしも妻も、日ごろの睡眠不足を抱えたままボランティア活動などしたら、たちまち倒れてしまうだろう。そんなことになったらかえって迷惑だろうし、それ以前に、クルマで被災地に近づくだけで交通渋滞の原因をつくってしまうという問題もある。 

募金箱
レジ脇に置いた募金箱。みなさん、ご協力をお願いします。


何もできない歯がゆさを感じていたところに、ふと思いついたのが募金箱である。被災者の皆さんに寄付をするにしても、わたしたちには余裕がない。しかし、わたしたちにはお客さんという味方がいる。レジ脇に募金箱を置き、釣銭の一部でも寄付してもらえたら・・・金額はともかく、わたしたちの、そしてお客さんの思いが被災者に届けられるかもしれない。
 

  

そう考えて、募金箱を置いてみた。空っぽにしておくと最初の人が入れにくいと思い、わたしと妻のポケットから小銭を少し入れておいた。お客さんの善意がたくさん集まることを期待している。 

  

もともとオープン前、東京にいるころからレジに募金箱を置くことは考えていた。今回のような災害の被害者のためではなく、開発途上国の子供たちへの募金をしようと思っていたのだ。しかし、それはいずれやるとして、いまは被災地への支援だ。 

  

この猛暑のなか、復旧作業に励む被災者やボランティアの方々にはほんとうに頭が下がる。皮肉にも、豪雨の直後に「晴れの国」に戻った岡山で熱中症に罹らないよう、くれぐれも休み休み作業をしてほしいと思う。致し方ないことだが、先は長いのだから。 



y1_tokita at 08:37|PermalinkComments(2)瀬戸内暮らし | カフェ

2018年07月14日

平成最悪の水害

毎日暑い。ここ岡山を含む中国地方は79日に平年より10日以上早く梅雨明けした。そのとたんに真夏がやってきた。それはいいのだが、梅雨の終わり、76日から7日にかけて岡山を襲った豪雨の爪痕はあまりにも大きかった。 


倉敷市真備町の水害現場を上空から見る。一面、深く浸水している。

前回書いたように、幸い「カフェ明治屋」に被害らしい被害はなかった。ちょっとした雨漏りがあった程度である。今となっては、「雨漏り事件」などと大げさに記した自分が恥ずかしくなるくらいに県内の被害は大きかった。
 

  

たとえば倉敷市真備町の大規模水害。わたしが地元の特別警報が解除されてほっとしているころにも被害の大きさは伝わってこなかった。被災地の自治体も情報収集に追われ、まだ発表できる段階ではなかったようだ。その後、徐々に明らかになってきた現地の状況に、わたしは愕然とした。713日現在で、県内の死者は59人(うち真備町50人)、行方不明15人となっている。 

  

雨が続き、裏の干田川の水位が上がったときには気にはなったが、これほどの災害になるとは思わなかった。テレビの全国放送では真備町の洪水ばかりを取り上げるが、それ以外にも県内のあちこちで被害が発生している。「カフェ明治屋」にとって身近なところでは、お隣の邑久町でも水に浸かった地域があるらしいし、直線距離でほんの5キロ程度の岡山市東区平島付近でも道路や住宅が冠水した。「カフェ明治屋」のオープン初日、「10円玉騒動」のときにお世話になった「ゆめタウン平島」も浸水の被害に遭い営業を一時中止している。 

  

交通や物流への影響もある。わたしたちは定休日に日帰り温泉に行ったり食材の買い物をしたりするが、玉野市の「たまの湯」から備前市の「海の駅」に行こうとナビに入力したら迂回路が表示された。岡山ブルーラインの備前インターと鶴見インターの間が全面通行止めになっているのだ。そのせいもあってか国道2号線の上りは大渋滞だった。スーパーマーケットの棚もいつもより品薄に見える。物流が滞っているのだろう。 

  

いずれにしろ、わたしたちへの影響はその程度で済んでいる。奇跡といっていいだろう。雨雲がほんの少しこちらにずれていたら、もう少し長く降っていたら、被害に遭ったのは真備町ではなくここ長船町だったかもしれない。真備町のことがまったく他人事ではなく、あとになって冷や汗が出た。 

  

7月上旬の雨続きから豪雨、水害、その後と、6月までと比べると客足は鈍っているが、仕方がないだろう。そんなもの(雨漏り同様)被害のうちに入らない。豪雨の被害に遭われた方々の力になれないのが歯がゆいが、いまは自分の仕事を精一杯こなしつつ、被災地の一日も早い復興を祈ることしかできない。 



y1_tokita at 09:03|PermalinkComments(1)瀬戸内暮らし 

2018年07月10日

大雨特別警報!

関東甲信地方が6月中に早々と梅雨明けし、瀬戸内もそろそろかと思っていたら大間違い。曇りや雨の日が続き、そしてとうとう76日から7日にかけては記録的な大雨となった。お隣の広島県では土砂崩れ、倉敷市でも洪水と被害が相次ぎ、テレビの全国放送で大きく報じられた。ここ瀬戸内市でも大雨特別警報(土砂災害)、洪水警報、雷注意報が発令された。岡山県で「特別警報」が出たのは今回が初めてだという。 

増水した干田川
増水した「カフェ明治屋」裏の干田川。縁まであと1メートル半ほどになっている。


それでも
6日にはまだ平静を保っており、予約のお客さんをはじめ通常の半分ほどの来店客があった。ところが夜になると雨は勢いを増し、ときおり叩きつけるように降った。「雨漏り事件」が発生したのはそのときである。夜11時ごろ、そろそろ寝ようかと寝室への廊下を通ったときには何ともなかった。そのすぐ後に、雨脚が強くなったので川の水位を見ようと寝室を出てみると、廊下で雨漏りがしている。母屋と増築部分の境目の扉の上からポトポトと。あわてて下にポリ容器を置いたが、雨漏りは勢いを増している。参った。 

  

古民家に住むとこういうこともあろうかとは思っていた。しかし、雨漏りの修繕は難しいとも聞いていた。どこから浸水し、どういう経路をたどって雨漏りしているのか調べるのも困難だし、浸水個所を修復するのも簡単ではない。とにかく応急措置をして様子を見ていると、そのうち雨漏りは止まった。さしあたりは何とかなったが、これから先も、豪雨のたびに浸水するのだろう。何とかしなければ。 

  

しばらくして眠りについていると、妻がわたしを起こしに来る。「ドーン」という音と振動があったという。隣のお寺さんの崖が崩れたか、とも思ったが、そうではないらしい。大きな岩が崩落したか、雷が落ちたか、はたまた・・・何が起こったかはいまだに不明だ(総社市の工場での爆発説が有力)。 

  

それはともかく、7日朝になると瀬戸内市にも大雨特別警報が発令されていた。テレビのニュースでも各地の被害状況を伝えている。それを見てか、わたしと妻の友人知人などから安否確認のメールが届く。店を開けるべきか、臨時休業にすべきか悩んだが、わたしたちがすぐに避難しなければならない状況ではなさそうなので、開店休業覚悟で開けることにした。まもなく、ランチを予約したお客さんからキャンセルの電話が入る。致し方ない。ただのキャンセルではなく、1週間後に繰り延べにしてくれたことがありがたい。 

  

開店休業とは思ったが、モーニングサービスには常連さんをはじめ数人の来店客があった。さらにランチにも通常の半数ほどのお客さんが。こんな日に来てくれるなんて、ほんとうにありがたい。 

  

雨は午前中にいったん上がり、午後にまた小雨が降りだしたが川の水位は朝よりも3040センチ下がった。今回の「特別警報」の期間は何とか乗り切ったようだ。前にも書いたが、災害の少ない地方に移住したつもりが前の小山には崖崩れの危険、裏の川には氾濫の恐れがある、という土地に住むことになった。この2つのリスクとは今後も付き合っていくしかない。恐れすぎる必要はないが、リスクに慣れすぎず、警戒心をなくさないようにしよう。 

 


y1_tokita at 09:22|PermalinkComments(0)瀬戸内暮らし