2019年01月
2019年01月31日
Poloくん、ゴメン!(その1)
どうかしていたとしか言いようがない。今年(2019年)の正月3日、「カフェ明治屋」の近くの県道を愛車Poloで走っていて、いきなりガガガガーという音と激しい振動に見舞われた。一瞬、何が起こったのかわからなかった。前を見るとクルマは歩道との境の縁石をまたぐ格好で進んでいる。何とか車道に戻り、左側に寄せて止めた。
やってしまった。とにかく、ハザードランプを点け、ラゲッジルームに積んであった三角版をクルマの後方に立てる。あたりにはフロントバンパーの破片がいくつも散らばっている。それらを拾ってクルマに乗せ、クルマの前部を見てみる。左前輪がバーストし、軸がひしゃげてタイヤはあらぬ方向を向いている。ラジエーターが破損し、液が路面にこぼれている(もしかしたら、オイルもかもしれない)。
とても自走できる状態ではないので、JAFにレッカー車を要請する。正月だから恐ろしく時間がかかるかと思ったが、50分ほどで着くという。さて、レッカー車でどこに持っていくか。いつも点検・整備をやってもらっているフォルクスワーゲンのディーラーに電話すると、1月3日のこの日は営業していた。受け入れ先が営業していないと運べないそうだからラッキーだ。もし事故が前日だったらディーラーは休みで、クルマはいったん自宅に運んでもらい、日を改めてディーラーまでの搬送をお願いしなければならないところだった。
次は保険会社だ。電話すると、事故証明が必要になるから警察に連絡するようにと言われる。そうだった。まずは警察だ。110番して事故を起こしたことを告げる。10分ほど経ったころだろうか、ミニパトがやって来た。若い男性警官はわたしの説明を聞き、状況を見て、「わき見運転ですね」と結論づけた。そのなのだろう。運転しながら煙草に火を点け、いつものようにエアコンのファンを強くしようと視線を落としたところまでは覚えている。そのときに、なぜかハンドルを少し左に切ってしまったようだ。まったくの直線道路で独り勝手に左側に寄り、縁石に乗り上げてしまったというわけだ。ほんとうに、どうかしていたとしか言いようがないのである。
これも幸いに現場が自宅から歩ける距離だったので助手席に乗っていた妻は家に帰し、到着したレッカー車の助手席に乗って岡山市内のディーラーへ向かった。それにしても、ここ岡山ではクルマがないと買い物もできない。ディーラーには電話で泣きついて代車を手配してもらった。用意されたクルマは、高級車Passat Variant TDIの新車だった(販売価格500万円超!フォルクスワーゲンさん、ありがとう!)。
それにしても単独事故でわたしたちにケガもなかったことは不幸中の幸いだった。問題はPoloくんが修理でよみがえるかどうか、である。
2019年01月25日
エアコンを拝む
「カフェ明治屋」の母屋は明治42年(1909年)の建物だから、今年(2019年)で築110年になる。これだけの古民家になると、あちこちに隙間が空いていて冬には寒風が吹き込む。それでなくても昔の家は「夏仕様」になっていて、冬の寒さ対策などまったく考えていない。しかし、あらためて言うが、瀬戸内の冬は寒いのである。
昔の人はどうしていたのかと考えていたら、あるとき、すぐ近くにある売り主さんの倉庫の中を見せてもらう機会があり、そこに火鉢がたくさんあるのを発見した。「カフェ明治屋」の建物で使われていたものだと思う。昔は日常生活でも人が集まる席でも、ところどころに火鉢を置いて、それに当たりながら過ごしたのだろう。
火鉢といえば、わたしの高校生時代の自室での暖房器具はもっぱら火鉢だった(念のために言っておくが戦前の話ではない。1970年代である)。当時、わたしの母は富士銀行(現・みずほ銀行)熊本支店の住み込みの寮母をしており、わたしもそこに同居していた。その寮は夏目漱石坪井旧居の隣にあったのだが、やはり古い住宅で、わたしの部屋は四方が襖か障子でエアコンなどついていなかった。十代のわたしは、「火鉢でいい」と言い張り、炭をおこした火鉢を抱えるようにして勉強をしていた記憶がある。
さすがにカフェの暖房を火鉢でというわけにはいかないのでエアコンを使っているが、暖房が効きにくい古民家ではそれでは間に合わず(それにエアコンだけだと電気代が月に7万円を超えたことがある!)、石油ストーブも焚いている。朝の4時、5時からそれらをフル稼働して、やっと7時の開店時に客席が20度になるかならないかである。廊下などは、昼間でもちょっといたら震えがくるほど寒い。わたしたちのプライベートルームなどにはオイルヒーターや電気ヒーターも使っているが、メインの暖房器具はエアコンである。
着替えのときや室外から戻ったときなど、温風を吹き出すエアコンの下から動けなくなる。ストーブだと下に手をかざして当たるが、エアコンの場合、どうしても両手をエアコンの吹き出し口に向けて頭上に上げ、あたかも雨乞いをしているかのような格好になる。温風のありがたみに、エアコンを見上げ両手をかざしながら「エアコンさま~! エアコンさま~!」などと口走ってしまう。まるでご神体であるエアコンを拝んでいるかのようだ。エアコンに背を向け、うなじに温風を当てるのも気持ちいい。温泉の掛け湯ではないが、思わず「あ゛~」とため息が漏れる。
カフェを始めるとき、ほんとうは客席に薪ストーブを置きたかった。前に紹介した「お好み焼き 木楽」には薪ストーブがあって、いつも羨ましく思う。しかし、「カフェ明治屋」のような古い日本家屋では構造上、薪ストーブを入れることはむずかしい。エアコンよりも安上がりで効率的な暖房は何かないかと考えているが、当分は「エアコンを拝む」日々が続きそうだ。
2019年01月19日
最上稲荷に詣でる
去年(2018年)から今年(2019年)にかけての年末年始の休みにやりたかったことが3つあった。「カフェ明治屋」と定休日が重なってなかなか行けない日生の「カフェマルベリー」に行くこと、ともに岡山三大温泉のひとつに数えられる湯原温泉か奥津温泉に入ること、そして日本三大稲荷のひとつともいわれ岡山で初詣客が一番多い最上稲荷(さいじょういなり)に詣でることである。
前の2つは年末に果たしたが、最上稲荷への初詣には二の足を踏んでいた。というのも、初詣の時期、最上稲荷には約60万人が訪れ、付近の渋滞は一説によると「日本一ひどい」と言われるほどだからだ。そこで一計を案じ、三が日をはずして第2週の定休日に行ってみた。幸い、平日だけあって渋滞はまったくなく、最上稲荷に一番近い駐車場にクルマを停めることができた。早くも御利益か。
最上稲荷は、正式名称を最上稲荷山妙教寺という。稲荷という名がつき、参道には高さ27.5メートル、柱の直径4.6メートルの大鳥居があるが、れっきとした日蓮宗の寺である。参拝するとき、間違っても柏手を打ってはいけない(隣のオジサンは派手にパンパンとやっていた)。合掌し「南無妙法蓮華経」と唱えるべし。わたしたち二人は、静かに手を合わせた。ここは「商売繁盛」「家内安全」「交通安全」などのご利益があるらしい。ほかにも、境内の縁の末社には悪縁を断ち良縁を招く「縁切り縁結び」の神も祭ってある。
何気なく境内に掲げてある九星の表を見てみると、今年の運気はわたしが裏鬼門、妻が八方塞がりとある。ふたりとも、いわば「厄年」に当たっている。
どうりで年明け早々、わたしの腕時計(ORISの自動巻き)が急に動かなくなったり、これはいずれ書こうと思うがちょっとした交通事故を起こしたり良いことがない。最上稲荷詣でを機に運気を変え、まさに「商売繁盛」「家内安全」「交通安全」の年にしたい(と思っていたら、参拝した翌日、厨房のオーブンレンジが突然、故障しドタバタの買い替えとなった。参り方が足りなかったか)。
2019年01月13日
湯原温泉に浸かる
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった・・・」川端康成の小説『雪国』さながら、クルマが米子道の摺鉢山トンネルを過ぎると、それまでとは打って変わって一面の雪景色だった。
わたしたちがほぼ毎週の定休日に湯郷温泉に出かけていることは、これまでにこのブログに何度も書いた。日帰りの温泉ドライブは、いまのわたしにとって数少ない休日の楽しみのひとつだ。妻は贅沢だといい、半ばあきれているが、嫌がる風でもない。根は私と同じでドライブ好き、温泉好きなのだ(と勝手に思っている)。
湯郷温泉に加え湯原温泉、奥津温泉を称して岡山三大温泉(美作三湯)という。岡山に移住したからには地元のいろいろな温泉に行ってみたいと思っているが、まずは三大温泉の制覇だ。そこでこの年末年始の休みに、湯原温泉に出かけることにした。湯原温泉は、わたしたちが夏のキャンプで行った蒜山高原に比較的近い。キャンプのときに下湯原温泉までは行ったことがあるが、ダムを眺めながらの雄大な露天風呂で知られる砂湯はまだだった。楽しみだ。
大晦日の朝、「カフェ明治屋」をクルマで出発。赤磐市、津山市と下の道を通り、久世インターから米子道に乗る。「この先、チェーン装着」の表示が気になるが、大丈夫、チェーンは積んでいる。2、3日前から急に冷え込み、山陰から中国山地にかけては積雪があると聞いていた。湯原インターの少し手前で1台ずつクルマを停められ、タイヤを確認される。チェーンが必要かどうか訊いてみると、湯原インターまでは夏タイヤでよいとのこと。ラッキーだ。出発からおよそ2時間で湯原に着いた。
湯原の温泉街に入り、川沿いの駐車場に止める。このあたりは20~30センチの積雪だ。山の木々も雪に覆われている。「カフェ明治屋」のある瀬戸内市と同じ岡山県とは思えない景色である。名物の砂湯は、ダムを間近に望むあたりにあった。ここは、旅行作家・野口冬人氏の露天風呂番付で西の横綱にランクされている。広い河原の砂利を掘っただけのところから豊富な湯が湧き出している。吹きっさらしの混浴。いくら湯に浸かっているといっても、この時期は寒そうだ。女性には、旅館の女将たちが考案した、濡れても透けない湯あみ着があり、レンタルもしているそうだ。
出発前、記念に砂湯に入ってみようかと妻に訊いてみると「絶対にイヤ!」と拒絶された。そりゃそうだろう。湯あみ着を着ているとはいえほぼ裸。男はみんなタオル1本のところに一緒に入るのは抵抗があるだろう。道を歩く人たちからも丸見えだ。それにこの時期、露天だけでは風邪をひきそうだ。
というわけで、わたしたちは砂湯からほど近い湯元温泉館という日帰り温泉に浸かった。一緒になった地元に男性と話してみると、ここは湯量が豊富で体が温まる泉質だから気に入っているとのこと。わたしも芯から温まった。ほんとうにいい湯だった。今度来るときには、何軒かある温泉旅館の日帰り入浴も利用してみたい。
2019年01月07日
すっぽん鍋
閉店後の店で電話が鳴る。出ると金庫がロックしてしまった「金庫大事件」のときに開錠してくれた「救世主」の方だった。「すっぽんがあるんだけど、持って行きましょうか」とおっしゃる。すっぽん・・・。わたしも妻もこれまでに食べたことはないが、せっかくだから、ありがたく頂戴することにした。いただいたすっぽんは、捌いたばかりのナマで原形をとどめている。処理に困るなと思ったが、親切に調理の説明書をつけてくださった。
営業日はもちろん、定休日でも時間と手間をかけてすっぽんと取り組む余裕はないので、いただいたすっぽんは冷凍しておいた。やっと年末の休みに、すっぽんと格闘することにした。
すっぽんは、甲羅と骨以外は食べられないところはないそうだが、とくに重要なのが甲羅の周囲の軟骨(エンペラ)ということだ。説明書にしたがい、昆布出しを取った湯にすりおろし生姜とネギを入れ、まずは甲羅を煮る。灰汁を取りながら長めに煮たところで甲羅を取り出し、エンペラを取る(甲羅は捨てる)。つぎにその鍋で肉の部分を煮る。これも、灰汁を取りながら通常より長く煮る。ネットの情報では、とにかく強火で煮ることが肝腎とあったのでグラグラいわせながら煮た。
煮上がったところで肉を取り出し、鍋の湯に酒、みりん、すりおろし生姜、塩分(昆布茶)を入れ、沸騰したら肉とエンペラを鍋に戻す。灰汁を取り、豆腐や野菜を入れてできあがり。好みの味付けで食べればよい。
わたしたちはポン酢でいただいた。味は・・・。クセや臭みがあるのではないかと危惧していたが、クセはなく、臭みもまったくない。肉の部分は、たとえるなら地鶏だろうか。繊維に沿ってほぐれ、ほどよい歯ごたえがある。エンペラは、とろりとしておいしい。肉の部分の中に、黄色い脂の塊のようなものがあったが、これも食べてみるとクセはなく、おいしく食べられた。
鍋のあとは雑炊だが、この日、わたしたちの食欲ではそこまで行きつけず、後日のお楽しみとした。煮汁を鍋のまま一晩放置しておいたら翌朝には煮凝りになっていた。すっぽんのコラーゲン恐るべしである。
で、翌朝には肌がつるつるになっていたかって? ふたりですっぽん1匹を平らげたのだから効果はあったのだろうが、妻はともかく、わたしは気づかなかった。ただ、体が芯から温まったことは間違いない。厳寒の時期にすっぽん鍋、いかがですか?