2018年02月11日
カフェの本棚
わたしは社会に出てから脱サラするまでのおよそ35年間、ずっと出版業界に身を置いていた。この間、日本の書籍・雑誌は1996~97年をピークに、その後の20年、販売額を減らしてきた。つまり、わたしの編集者人生は最初の15年ほどが追い風で、後半はずっと逆風だったことになる。
とくにわたしが携わっていた専門書・専門雑誌は、いまや風前の灯火といっても過言ではない。近い将来、その手の情報は電子化され図書館(あるいはそれに類するデータセンター)から借りられるようになるだろう。だれもが無料で、しかも、だれかが借りているから借りられないということもなくなる。こういうものを、わたしが本や雑誌をつくっていた経済学の分野では「公共財」という。「国防サービス」などと同様に、だれでもタダで享受できるということだ。
「公共財」は市場経済になじまない。消費者がコストを負担しないからだ。そうなると、政府が税金を使って供給するしかない。「国防サービス」などがそうなっている。しかし、本や雑誌については、もうひとつ手がある。作り手がコストを負担する「自費出版」だ。ネット社会では、印税や原稿料が発生するどころか、場合によっては情報の発信側がコストを負担しなければならなくなるだろう。
紙の本や雑誌でも「自費出版」はある。個人の半生記や詩集、同人誌などが多いが、フリーペーパー・フリーマガジンと呼ばれる自治体や企業、個人の雑誌もある。これが、たんなる宣伝の域を超えて面白いものが多い。元編集者の目から見ると、スポンサーがつき(自腹を切り)、売れ行きをさほど気にせずに作れるからのびのびとやれるのだろう(うらやましい)。そのままネットに持っていけるビジネスモデルであるという意味で、時代を先取りしているともいえる(作り手は「紙」にこだわっているのだろうが)。
「カフェ明治屋」のマガジンラックに何を置くかを考えたのは、まだ東京にいたころだ。そして、真っ先に頭に浮かんだのがフリーペーパーだった。ちょっと変わった品ぞろえ、だけど面白い――という線を狙ったわけだが、コスト削減という現実的な意味合いもある。
わたしはさっそく小平市の自宅から近いところにある「ONLY FREE PAPER」というショップを訪れた。ここには全国からフリーペーパー・フリーマガジンが集まっており、ショップがセレクトしたものを購入することもできる。
この記事へのコメント
カフェと言えば音楽、雑誌はつきもの
地方にいて全国の新鮮な情報が入手でこる。☝は戦力になるかも❗
さすが先を読んでいますな🎵📖