2018年03月27日
写真の楽しみ(その2)
「ネガ(フイルム)は楽譜、プリントは演奏」写真家アンセル・アダムスの有名な言葉だ。撮影や現像は作品そのものを形づくるが、実際に作品に触れる人たちの心を動かすのは紙に焼き付けられたプリントというわけだ。暗室での引き延ばし作業こそ腕の見せ所ということだろう。
もちろん、撮影や現像が重要なのは言うまでもない。構図・露出・ピントの三要素を押さえて意図したとおりにフイルムに記録する、現像液や撹拌方法に工夫を凝らしプリントしやすいネガを仕上げる、といった作業をおろそかにはできない。
しかし、何といっても写真で一番重要で、かつ楽しいのは暗室での引き延ばし作業だ。試し焼きを繰り返し、覆い焼きや焼き込みで撮影意図どおりの作品を仕上げていく。ハイライトからシャドウまできれいなトーンが出たときの満足感は何物にも代えがたい。
というようなことを書くと、「なんと時代遅れな」と思う人もいるだろう。いまは写真といえばデジタルで、フイルム以上の解像度を出すこともできるし、何といっても撮ったその場で確認できるから早いし間違いがない。スマホで撮れば自動的にクラウドにアップされてほかの端末からもアクセスできる。便利この上ない。しかし、便利なことと趣味として魅力的なこととは別の話だ。
Photographとは、もともと「光画」という意味だという。わたしにとっても写真とは、光で絵を描くことだ。それにはやはり体を使い(覆い焼きや焼き込みには手や腕も使う)、物質的な作業(現像・停止・定着液を通すなど)を伴いたい。暗室作業をおこなっていると体で作品をつくっているという実感がある。
写真はすべて過去のものである。未来を写すことはできない。写真は撮った次の瞬間から思い出の写し絵となる。だから、すべての写真は「懐かしい」ものである。「懐かしい一枚」にふさわしいのは、モニターの画面ではなくて、押し入れや本棚の奥にしまってある古い写真ファイルだ。そこに入っているべきは、プリンターで出力したものではなくて手焼きの銀塩写真だろう。
いずれまたフイルムで写真を撮りたい。わたしにとっての「懐かしい一枚」を増やすために。
この記事へのコメント
腕がうずうずしているみたいですね。
近くに現像できるところはありますか?
なければ、そのうちマイ現像所を作るのではないですか?👍